家紋のブログ

家紋あれこれ

会社勤務の頃、業務上どうしても家紋を覚える必要がありました。
現役を離れて数年が経ち、ウォーキング中にふと見上げた蔵の家紋に昔の記憶が甦りました。
お寺や神社、旧家の蔵、商店の看板やのれん、お墓など見て歩いています。
学術的な難しい事は解りません。あくまでも見て楽しむ。
珍しい家紋に出あった時の嬉しさ、そんな価値観を共有出来る方がいれば嬉しく思います。

家紋で遊ぶ(源氏香)

    あなたを忘れられないでいる私を
    もうこれきりに忘れてしまうあなたこそが
    世間に流されてなびく心の持ち主なのでしょうね


源氏物語は愛欲渦巻く人間関係が複雑で、私にはとてもついていけません。
今年は寒さが続き、ようやく梅が咲きました。
「梅」紋は図数が多いですが、その中で今の季節に合うのを選びました。

  丸に枝梅に鶯

家紋四方山話(鬼)

節分は過ぎてしまいましたが、節分には欠かせない鬼について、家紋の中の鬼について考察します。鬼は「強い」「悪い」「怖い」「大きな」「物凄い」という様なイメージで語られている様です。日本各地に溢れる程の鬼にまつわる話がありますので、特定な定義は無いようです。その事を踏まえて見てみますと、まず家紋の中に鬼という項目はありません。


鬼を直接描いているのは上図の3項目だけで、それも顔だけで鬼全体を描いている紋は
ありません。そして武器としての金棒もありません。
他には植物紋の中に多く見られる、イメージとしての鬼です。葉の縁を尖らして近寄りがたい強さを表しているのでしょう。節分に柊の葉を玄関に飾るのと同じイメージですかね。
植物紋の中でも花を意匠した紋には鬼は殆どありません。当たり前ですかね。
そして柊紋には鬼葉の意匠はありません。紋全体が鬼ですから、これも当たり前ですね。
下図はとても珍しい鬼紋です。こちらは資料の中でしか見る事はないでしょう。

左一つ鬼丁子巴

家紋見て歩き(神社紋)

この稲荷神社は見てご覧のとうり、地方都市の小さな小さなお稲荷さんです。
しかし屋根飾りを見て下さい。これぞお稲荷様ですね。
京都の伏見稲荷大社に負けない程の存在感を私は感じました。
造り手の暖かさが伝わって来るオンリーワンのお稲荷さんです。
各地を見て歩きながら、この様な出会い発見があるのが一番の喜びです。


家紋ですが、図の様な意匠の家紋はありません。稲紋はありますが狐は家紋資料にはありません。そこでフリー素材を利用して私が意匠しました。下手で笑って下さい。
稲荷神社にある石像の狐が銜えている巻物を、ここでも銜えています。
この巻物はお経を書いた経典だという説があります。神様より徳や知恵を狐が授かったという事のようです。
神様に祈り願い事をするのに、対象となる神社の物理的な大きさと比例する訳ではありませんからね。

家紋見て歩き(神社紋)

今回は「巴」紋を取り上げましたが、始めにお断りしておきます。
この「巴」紋ですが、この意匠の由来は文献によると諸説あり、特定出来ません。
丸い方を頭細い方を尾という言い方も、特定の説に基づいた事でありここでは表現しません。
また向きについてですが、これも文献により左右両説あり、ここでは細くなる方の向きにしています。また紋の個々の名称も文献により多々あり、その中で相応しいと思うものを採用しています。


神社へ行くと圧倒的に多いのがこの「巴」紋です。
屋根飾り、水引幕、お賽銭箱、手水所、社務所、等々あらゆる処にあしらってあります。
そしてお祭りや演舞や街中にも溢れています。なので見慣れてしまい、気に留める人は殆んどいません。そして皆同じ意匠だと思っていて、その違いについて理解する人は殆んどいません。
上図での違いはその一部に過ぎません。
「巴」紋は当初は「古来左三つ巴」のような形で、それから上左図のように変わっていったという事のようです。また「流れ左・右三つ巴」の意匠は軒先瓦などによく見られます。巴が渦巻きを表し水を司る神様で、火除けの願いを込めてという事だそうです。これも諸説の一つです。
上図の六つの中で名の知れている神社は一つで、あとは地域の小さな神社です。

家紋見て歩き(神社紋)

ここに掲載したお四社のお稲荷さんは、日本中の何処の地域にもある小さなお稲荷さんです。地域の人に守られ大切にされ、その存在は地元の人以外はあまり知られていません。
稲荷神社は京都の伏見稲荷大社を総本宮とし、全国に3万から4万ぐらいあります。それと屋敷神という個人の敷地内や会社の敷地内ビルの屋上など、山野や路地にある小さな祠を合わせるとその数は計りきれません。


そんな稲荷神社に「宝珠」紋が飾られているのを多く見かけます。なぜ宝珠紋なのか。
これは「如意宝珠」といい、仏教で宝の玉を表します。「思うままに願いを叶える珠」という意味があるそうです。ではこの珠の正体は、諸説あるようなのでここでは省略します。
では神社に仏教のものがなぜ飾られているのか、明治以前は神仏習合でしたので、明治の神仏分離令以後もそのまま残ったと思われます。
その分離令以後に稲荷信仰は神道系と分離令を免れた仏教系と分かれました。神道系の代表は伏見稲荷大社で仏教系の代表は愛知県の豊川稲荷です。ここは曹洞宗妙厳寺といい神仏習合時代からそのまま稲荷信仰がま守られています。ただ名は豊川稲荷として知れ渡っています。本殿に飾ってある大提灯には「稲荷宝珠」が描かれていますね。
 

    

稲荷神社に「宝珠」紋が多くあしらわれているのは、この様な事が関係していると私は思います。近くのお稲荷さんに行ってどんな紋様が飾ってあるのか見て下さい。