家紋四方山話(見聞諸家紋)
今から560年程前に始めて作られた、「見聞諸家紋」帖から今回は「鶴」紋を選びました。
当時は庶民には家紋とは縁のない、公家や武家だけの世界です。
家紋が一気に広がったのは江戸時代です。徳川幕府は「葵」紋以外は何らの規制はしませんでしたので、士農工商に関係無く、色々な家紋が意匠されました。
「鶴」紋ですが、鶴は延命長寿の鳥として尊ばれました。
また上図を見てお判りかと思いますが、五図が雌雄二羽で描かれています。
これは、夫婦和合・子孫繫栄を表し、瑞祥動物として昔から尊ばれていました。
この様に、瑞祥的な意味合いで多くの家で使われたのです。
現在の紋帖には掲載は無かったり、また有っても細部が違ったりで、私が多少変更を加えての家紋図です。
左から、当時としては外郭に輪が描かれるのは珍しいのです。家紋に輪を多く付ける様になったのは江戸時代になってからです。お城に上がる武士達の裃の家紋が目立つように輪や亀甲などの外郭紋を意匠するようになったのです。
次の「根松喰い対い鶴」ですが、見聞諸家紋の図を見て下さい。若松の根の部分を赤色で後から書き加えてあります。この紋には根の無い若松の家紋もあるのです。
根を下ろす。という縁起からですかね。花札の一月にもある様に、鶴に松は今でも縁起物です。「立ち対い鶴」の三図ですが、羽を見て下さい。其々に違います。こんなところにも、他家とは違う拘りが見えます。当時でもこの様な情報は、けっこう伝わっていたのでしょうね。最後の「飛び鶴」ですが、一羽で描かれています。見てのとうりで「飛ぶ鳥跡を濁さず」的な意味もありますかね。
下図は現在の紋帖にある、「若松に対い鶴」です。
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