家紋のブログ

家紋あれこれ

会社勤務の頃、業務上どうしても家紋を覚える必要がありました。
現役を離れて数年が経ち、ウォーキング中にふと見上げた蔵の家紋に昔の記憶が甦りました。
お寺や神社、旧家の蔵、商店の看板やのれん、お墓など見て歩いています。
学術的な難しい事は解りません。あくまでも見て楽しむ。
珍しい家紋に出あった時の嬉しさ、そんな価値観を共有出来る方がいれば嬉しく思います。

家紋見て歩き家紋(瓦紋)

今回もとある城下町で見た瓦紋です。
「山形に吉の字」紋で揃えてみました。どれも屋号紋です。
この様に屋号紋は文字を意匠するのが多く、人名や店名の一文字を使っています。
この他にも、吉の字の屋号紋はまだ多くありますがまたの機会にします。


左二つが棟瓦で右二つが軒先瓦です。
軒先瓦の場合は右端の紋の様に、雨樋が被っている事が多く、下からの撮影なので全体を撮るのが難しい事が多いのです。
それぞれに個性的な字体で面白いですが、図案化するのは苦労します。
殆んどは士に口ですが、土に口もあります。中には一つの屋根で両方の字が意匠されているお店もありますが、紹介はまたの機会とします。
また山形紋も一見すると同じように見えますが、それぞれに違います。
太さ長さ角度それに左右の長さ違っていたりします。
字を山形に合わせた角度にして意匠されている紋が多いです。
末広がりに吉報と大吉、屋号紋にはうってつけですね。

家紋見て歩き(瓦紋・壁紋)

とある城下町で見つけた、不思議な家紋です。
四つの家紋に共通しているのは、丸がある事です。
この様な紋は家紋資料には無く、どれも独自紋です。ですので紋名については特定なものは無く、家主側で独自の言いかたをしていたり、決まった紋名は存在しなかったりで、
今回はあえて紋名は記載しませんでした。
私なりに考えて紋名を付ける事も出来るのですが、それも何通りか浮かんで来ますので、
誤解を招くといけませんので止めました。
これを見ている家紋ファンの皆様、自分なりの紋名を考えてみて下さい。
そしてそれは、自分だけの楽しみにして下さいね。


ある商家の家主の話として、丸は全てを丸く治めるという願いを込めて、意匠されていると話されていました。
この四つのどれもがそう言う事ではないと思いますが、頷く話です。
右側の紋ですが、入り山形の上に丸があります。日本中探したわけではありませんが、おそらくここだけでしょうね。私には山からの日の出に見えますが、どうでしょうか。


この城下町では歩く度に、新しい出会い発見があり、私には宝の町です。
皆様も是非この城下町へ(自己紹介参照)遊びに来て、新たな発見をして下さい。

家紋四方山話(見聞諸家紋)

前回に引き続き「見聞諸家紋」より、今回は鳥以外の生物を考察してみました。
生物を家紋とするのかは、その生物の形や動きにあやかろうとする様です。
六点取り上げましたが、どれも現在の家紋資料には同図はありませんので、資料のなかで一番近いと思われる図を掲載しました。
四点は家紋資料のままで、二点は家紋資料の図を基に修正を加えて、見聞諸家紋の図に近い図として掲載しました。どれがその二点か見つけてみて下さい。


「蝶」紋は、羽をたたんで休んでいる姿を「揚羽蝶」と言います。昆虫学とは全く関係は無く、図の形を称しての言い方です。
蝶は優雅に舞う姿から、公家に多く用いられました。それから見聞諸家紋に有るように平家一門から織田家へ、備前池田家へと今に繋がっています。
「海老」紋の海老は、お目出度い席やお正月に欠かせな生物です。長い髭と曲がった尾は、腰が曲がるまで長生きをすると言う、長寿を表している瑞祥的な意味で用いられています。
「獅子に牡丹」紋は中国から渡って来た紋様と言われています。
百花の王である牡丹は、獅子が好んで食べたという伝説があり、獅子は百獣の王であるライオンの化身であり、日本では寺社飾りの狛犬が獅子の化身であると言われています。
そんな強さから尚武的な意味で用いられました。
「馬」紋は、人との関わりは古くからあった生物ですが家紋としては少なく、ご存知の「相馬野馬追」の福島県相馬地方が馬を家紋として用い始めた様です。
話は解かりやすいですね。ただ相馬氏の家紋は杭に繋いだ「相馬繋ぎ馬」が定紋です。

   相馬繋ぎ馬

家紋四方山話(見聞諸家紋)

今から560年程前に始めて作られた、「見聞諸家紋」帖から今回は「鶴」紋を選びました。
当時は庶民には家紋とは縁のない、公家や武家だけの世界です。
家紋が一気に広がったのは江戸時代です。徳川幕府は「葵」紋以外は何らの規制はしませんでしたので、士農工商に関係無く、色々な家紋が意匠されました。


「鶴」紋ですが、鶴は延命長寿の鳥として尊ばれました。
また上図を見てお判りかと思いますが、五図が雌雄二羽で描かれています。
これは、夫婦和合・子孫繫栄を表し、瑞祥動物として昔から尊ばれていました。
この様に、瑞祥的な意味合いで多くの家で使われたのです。


現在の紋帖には掲載は無かったり、また有っても細部が違ったりで、私が多少変更を加えての家紋図です。
左から、当時としては外郭に輪が描かれるのは珍しいのです。家紋に輪を多く付ける様になったのは江戸時代になってからです。お城に上がる武士達の裃の家紋が目立つように輪や亀甲などの外郭紋を意匠するようになったのです。
次の「根松喰い対い鶴」ですが、見聞諸家紋の図を見て下さい。若松の根の部分を赤色で後から書き加えてあります。この紋には根の無い若松の家紋もあるのです。
根を下ろす。という縁起からですかね。花札の一月にもある様に、鶴に松は今でも縁起物です。「立ち対い鶴」の三図ですが、羽を見て下さい。其々に違います。こんなところにも、他家とは違う拘りが見えます。当時でもこの様な情報は、けっこう伝わっていたのでしょうね。最後の「飛び鶴」ですが、一羽で描かれています。見てのとうりで「飛ぶ鳥跡を濁さず」的な意味もありますかね。
下図は現在の紋帖にある、「若松に対い鶴」です。

家紋見て歩き(瓦紋)

今回も、とある日本の城下町で見た、瓦に意匠されている屋号紋です。
この城下町では、この「田の字」紋がとても多いのです。まだまだ他にもあるんです。
平野で川が多くあり水の利が良く、昔から稲作が盛んな地域だからですかね。
商いの種類や屋号の名とは関係なく、田の字が意匠されているのは五穀豊穣の願いからかも知れません。


この様な字紋は紋帳を探しても出て来ません。瓦紋に合わせて私が作図したものなので、
出来栄えについては大目に見て下さい。
それにしても面白ですね。同じのはありません。其々に個性的で職人さんの心意気が伝わって来ます。其々に字の上部が山形に合わせて切ってあります。そして四つの窓を見て下さい。枠の曲りに合わせて意匠されています。
瓦を見つめて、こんな細かいところまで見ているのは私だけですかね。


田の字の上ですが、左から上には無く字だけで、次は「山形」で同じ太さで線に対して直角切ってありま。次は「入り山形」で線の末を広げて水平に切ってあります。
右は「出山形」で字に比べるとかなり細い線で、線に対して直角に切ってあります。
この山形だけ見ても、これだけの違いがあり楽しいですね。その「山形」紋の違いの多さは城下町だけでもかなりの数になります。


前にお話ししたかも知れませんが、商家でこの「山形」紋を多用するのは、山は漢数字の八に例えて末広がりで商売繫盛と、大古から山には神様が住み、多くの山が信仰の対象でした。その山に屋を守ってもらうという、信仰的縁起的な意味合いからだと思われます。