家紋のブログ

家紋あれこれ

会社勤務の頃、業務上どうしても家紋を覚える必要がありました。
現役を離れて数年が経ち、ウォーキング中にふと見上げた蔵の家紋に昔の記憶が甦りました。
お寺や神社、旧家の蔵、商店の看板やのれん、お墓など見て歩いています。
学術的な難しい事は解りません。あくまでも見て楽しむ。
珍しい家紋に出あった時の嬉しさ、そんな価値観を共有出来る方がいれば嬉しく思います。

家紋四方山話(時代劇)

映画やTVで時代劇を見られる方は多いと思われます。私もその一人です。
話の中心の殆どは、武士武家社会で進んで行きます。そこに出て来る家紋は兵士の旗指物や陣地陣幕に描かれて家紋や、江戸時代では武士の着物に描かれている家紋です。
上図の様に、庶民の日常の中の家紋が多く出て来る時代劇は少数です。
勿論、平和になった江戸時代だからの風景です。
上図で一つ共通な事がありますが、お解りになりますか。
全て色布に白抜きの家紋になっいています。のれんの色使いがいいですね。
それに家紋の種類も、街中ではまず見ない様な家紋で嬉しいですね。


遊郭「春乃屋」まっ赤なのれんに「横見梅」華やかさが、伝わって来ます。
遊郭「杉野屋」のれんの緑に「三つ追い杉」屋号との粋な計らいです。この杉ですが、これは杉の葉ではなく杉の木立を表しています。中の白い線が葉を表しています。
材木問屋「西海屋」のれんの色は桔梗の紫を表していますかね。
「桔梗」紋は多く使用されていますが、この「抱き桔梗」は珍しいです。
職人の背中に描かれている「隅立て違い厚つ角」。この場面はほんの一瞬です。
このドラマを見ている方の殆どは、この半纏の家紋は記憶に無いと思います。
でもたとえ一瞬であっても、しっかりと描いているのが嬉しいです。


庶民の話を主にした時代劇には、この様にカラフルな家紋が出て来ますので、今後に時代劇を見る際の参考にして下さい。

家紋で遊ぶ(薄)

季節は少し過ぎてしまいましたが、秋を彩る薄で遊んでみました。
今回は上手にいきませんでした。薄は穂が大きく強いので、なかなか曲がってくれません。
あくまでも遊びなので、笑って見て下さい。
珍しい「薄」紋がある事を知っている人は、家紋に詳しい人ぐらいです。
仙台藩伊達家では替紋に使っていたそうです。下図「雪輪に薄に露」。

江戸時代には、中秋の名月の頃に月見の添え物として、ススキを売って歩く薄売りという商売人が居たそうです。なんとも粋な商売ですね。
そんな薄は、昔から蒔絵、陶器、衣裳などに意匠されていました。
「立ち薄に三日月」詠に出て来そうですね。

家紋四方山話(大成武鑑)

前回より引き続き、大成武鑑より引用しました。
今回も独自紋を取り上げました。これぞ本当の独自紋です。
この様な紋を文字紋と言いますが、文字紋は角字以外は基本となる文字はありません。
家紋でなくても、一つの文字に色々な書体があり、それに加えて手書きを入れたら際限のない書体数になります。
また同じ書体でも、上図にある様に丸に合わせて字の端を変えたりしています。
各家其々に独自の書体で、その家だけの独自紋です。
松平家以外は、名字の一文字を意匠しています。


家紋の隣の図は、提灯に家紋を意匠した図で小さくて見ずらいですが、これでも本図よりも少し大きくしてあります。家紋はこの様な使われかたもしているのです。
時代劇には従者が提灯を持って先を歩く場面が良く出てきますね。
その提灯には武家であれ商家であれ、家紋があしらわれているのが多いです。
また吉原の花魁道中にも先導役の提灯に家紋が意匠されています。


上図の家紋は、大成武鑑の家紋図に出来るだけ忠実にと、私が作りました。

家紋四方山話(大成武鑑)

今回は江戸時代発行の大名のガイドブックである、大成武鑑からの引用です。
ここに取り上げた五家はどれも財力のある有力大名です。
そして独自の家紋を持ち、家紋の資料にも固有名詞で記載されています。


家紋の書には、この様な家紋の事を独占紋と表示している書がありますが、私はこの独占という言葉がどうにも嫌ですので、オリジナルな家紋で独自紋と表します。


但し独自紋とは言っても、全く独自に意匠したのではなく、其々に基となる基本家紋があり、そこから手を加えて作られたものです。
立花守は「守り」紋。南部鶴は「鶴」紋。上杉笹は「笹」紋。榊原源氏車は「源氏車」紋。岩城櫺子に月は「月」紋。
櫺子とは木や竹を使った縦格子の事です。その格子越しに見た月を表している、風流な家紋です。なお櫺子は家紋資料の項目にはありません。
大成武鑑には大量の家紋が掲載されています。その全てを紹介するのはとても無理なので、面白そうな題材を見つけて紹介して行きたいと思います。

家紋四方山話家紋(大成武鑑)

今回は大成武鑑なるものについてお話します。
ざっくりと言うと、江戸時代の江戸城下の旗本や大名のガイドブックです。
購入閲覧に制限は無く、誰でも手に入れ見る事が出来ました。


正保元年(1644)~明治元年(1868)ほぼ200年間、改稿しながら刊行しました。
須原屋茂兵衛・出雲寺万次郎の二人の版元が独占していました。
刊行は役人ではなく、商人なのです。但し幕府の許しは得ていたようです。
値段は現在価格で正本は25.000円前後、略本で2.000~3.000円位だったようです。
貧しく買えない人は、貸本屋で借りたそうです。当時も貸本屋があったのですね。


情報の正確性は、上図の様な家紋などは変わる事は殆んどないのですが、こと人事になると
其々に変動が多いでしょうから、当時の情報スピードからいうと追いつかないままに改行してしまうの致し方ないでしょう。また隠し事も多いでしょうしね。


当時の江戸城下には、武家関係者は数十万人いたいわれます。
あらゆる階層の人があらゆる仕事に、武家関係者と関わりがありました。
そこで必要なのが、武家関係者の情報です。江戸時代のベストセラーであるこの大成武鑑が
いかに必読本かが解かります。


そしてこの本には家紋が溢れています。今後掲載されている家紋についてお話して行きます。