家紋のブログ

家紋あれこれ

会社勤務の頃、業務上どうしても家紋を覚える必要がありました。
現役を離れて数年が経ち、ウォーキング中にふと見上げた蔵の家紋に昔の記憶が甦りました。
お寺や神社、旧家の蔵、商店の看板やのれん、お墓など見て歩いています。
学術的な難しい事は解りません。あくまでも見て楽しむ。
珍しい家紋に出あった時の嬉しさ、そんな価値観を共有出来る方がいれば嬉しく思います。

家紋四方山話(東山殿紋帳)

今回も続いて東山殿紋帳より器物紋を紹介します。今回は生活具や遊具です。
550年程前に描かれた武家の家紋ですから、紋帳に出て来る図柄は当時の一般庶民の生活とは縁のないものばかりです。


「檜扇」紋は檜を薄くして扇にして、そこに色々な飾りを着けた扇の事です。
これには官位や性別、年令などにより板の枚数や、持ち方置き方などのややこしい作法があったようです。扇としての実用性は無く、身分を表す小道具のようでした。
薄いとはいえ檜の板に房をぶら下げたので扇ぐのでは、重く邪魔で思うように扇げませんよね。
現在でも雛人形が檜扇を持っていて、当時の面影を伝えています。(下図参照)

「輪鼓に手鞠」紋は当時の遊具を意匠しています。ただあまりにも簡略的な図です。
輪鼓とは木を鼓の形に作り、真ん中の細い部分を紐に当てて、転がしたり飛ばしたりして遊んだという事です。手鞠は表面を糸で装飾した鞠の事です。
当時の上の階級の子供達がこれらで遊んだのでしょうね。庶民の子供達は何で遊んでいたのでしょうか。歴史は一部の階級の人達の事だけを主に伝えていますので。(下図参照)

「中開き三本傘」紋は今でいう和傘です。私の子供のころは番傘といい、竹の骨組みに油紙を張った簡素なものでした。子供には重く油の匂いがして好きではありませんでした。当時もこれは実用的なもので、現在の様に軽く色鮮やかな和傘ではなかったでしょうね。
余談ですが「傘」の漢字は誰が考えたのでしょうね。四人も人が入る傘ですから、かなり大きな傘を見て思いついたのかも知れませんね。(笑)


「総角」紋は房ともいいます。大相撲の土俵の上の屋根の四方に房が下がっています。またお寺や神社の幕の中心を絞る装飾にも使われています。その他にも様々な場面に装飾として現在でも用いられています。
古代の子供の髪型を揚巻といい、そこから来ている意匠です。(下図参照)
上図の総角を見て下さい。黒字は逆さまになっていて、赤字で直してあります。
今も昔も間違いは赤色で修正するは変わらないのですね。(笑)