家紋四方山話(江戸古文書)
四月十七日の徳川家康公の命日に合わせて、天保十四年四月に行われた、徳川幕府最後の日光社参に対して全国各大名家の役割目録です。
上図はその冒頭の頁です。八十二頁に渡って手書きで書かれています。
本は小さく今でいう文庫本ですかね、懐とか袖に入れて持ち歩いたのでしょう。
8泊9日の行程で35の役を各大名に割り当てる目録で、そこに主だっ大名家の家紋が描かれています。
先頭が日光に着いた時に行列の最後尾はまだ江戸に居たという程の、江戸幕府の一大行事だったのです。ですからお金や人が莫大に必要でした。
江戸城だけで全てを賄う事は出来ませんので、各大名家に役だけではなく、お金と人も割り当てたのですね。
農繁期に多数の農民がこの行事にかり出されたと、記録に残っています。
華々しい表の裏で多数が支えているのは、今も昔も変わらないですね。
徳川御三家は飾りみたいなもので、実質的に陣頭指揮を執ったのは、当時の筆頭家老水野越前守で、江戸城の留守役の筆頭は会津の松平肥後守だったのですね。
追い追いと紹介して行きますが、手書きのうえ経年劣化で判別しずらい部分もあり、間違えた表記がある事をお許し下さい。
水野沢瀉は水野家の独占紋です。
会津三つ葵は、同じ三つ葵でも意匠が違うのがよく解かります。
徳川御三家の葵紋は同じである事を付け加えておきます。
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